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敗戦記念日に寄す [日々の思ひ]

銃の国の自由を許すな。

「戦争に勝つ」 ということ。
それは相手に戦闘を維持できないほどの被害を与えること。
相手が戦闘意欲を失うほどに加害すること。
そして戦争に勝ち、被害者となって敗戦国を牛耳る。

「戦争に負ける」 ということ。
それは、このまま戦闘状態を維持できないほどに加害されること。
戦闘意欲を失うほどの被害を受けること。
そして戦争に負け、加害者となり戦勝国に蹂躙される。

なんだか矛盾していないか?

新型爆弾をぶちまけた鬼畜邪道国家は今日も世界のあちこちで、
自分勝手な正義を振りかざして残虐非道を繰り返している。

銃の国の自由を許すな。

一体いつから 「空襲」 を 「空爆」 と呼び代えたのだ?

テレビやラジオも、あの戦争を顧みるのはこの時期だけ。
空爆で命を落とした非戦闘民は全国各地に眠っている。
たとえその実態が、
日の丸を振って心から兵士を送り出した戦争推進派であったとしても、
それぞれの日に、この国の民は、
今のこの時期ほど戦争を振り返ることはない。

わずかな装備で突撃を敢行し、 「玉砕」 と謳われたた兵士たちも、
大本営に見捨てられて時間稼ぎのために無駄死にを強いられただけだ。
前線を知らない軍部のお偉いさん達に利用されたに過ぎない。
そうした戦闘計画の過ちは顧みられることなく封印されて、
ただ感傷的な自虐史観の下に、敗戦国の汚名を甘んじて受けている。

反省すべきは反省せねばなるまい。
しかし、傲れる者の慢心は決然として糺さなければならない。

銃の国の自由を決して許すな。
銃の国の自由を決して許すな。
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